高野貴裕さんといえば、かつてTBSのアナウンサーとして活躍した姿を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
現在の高野貴裕さんは、テレビ局を離れて東京都議会議員として活動しています。
2025年の東京都議会議員選挙で世田谷区選挙区から初当選し、2026年現在も都議として福祉や医療的ケア児をめぐる課題などに取り組んでいます。
高野さんの歩みをたどると、TBSアナウンサーから社会貢献分野へ移り、社会福祉士の資格を取得した経歴が現在の政治活動につながっていることが分かります。
また、妻の星野真里さんとは青山学院大学時代の先輩・後輩という関係で、再会をきっかけに交際し、約9年の交際期間を経て2011年に結婚しました。
さらに、夫妻には娘さんがおり、娘さんが先天性ミオパチーと診断されたことを2024年に公表しています。
2025年の「24時間テレビ」では娘さん自身の挑戦が紹介され、2026年の「24時間テレビ49」では星野真里さんがチャリティーランナーを務めるなど、家族の歩みも注目されています。
- 高野貴裕の現在は東京都議会議員!
- 高野貴裕のプロフィール・経歴
- 高野貴裕はなぜTBSを退社して政治家になった?
- 高野貴裕と星野真里の馴れ初めは青山学院大学!
- 高野貴裕と星野真里は再会をきっかけに交際へ
- 高野貴裕と星野真里の結婚・夫婦生活
- 高野貴裕と星野真里の娘に障害があることを公表
- 高野貴裕と星野真里が社会福祉士の資格を取得した理由
- 高野貴裕の娘が「24時間テレビ」に出演した理由
- 2026年の24時間テレビで星野真里がチャリティーランナーに
- 高野貴裕の現在は東京都議会議員!今後の活動にも注目
- まとめ:高野貴裕は元TBSアナから東京都議会議員へ!家族の経験を福祉政策に生かしている
高野貴裕の現在は東京都議会議員!
高野貴裕さんの現在を調べると、元TBSアナウンサーという肩書きだけでは語れない活動をしていることが分かります。
高野さんは2025年7月23日から東京都議会議員を務めており、2026年8月現在は都民ファーストの会東京都議団に所属しています。
東京都議会の議員名簿では、世田谷区選出の都議1期として掲載され、所属委員会は厚生委員会となっています。
2026年の東京都議会では、医療的ケア児や障害のある子どもとその家族を取り巻く環境についても質問しています。
高野貴裕は2025年の東京都議選で初当選
高野貴裕さんは2025年6月22日に行われた東京都議会議員選挙で、世田谷区選挙区から都民ファーストの会公認候補として立候補しました。
世田谷区選挙区では8人が当選する選挙となり、高野さんは24,797票を獲得して7位で当選しています。
政治家としては新人でしたが、長年のTBS勤務で培った発信力や、社会福祉士としての知識、医療的ケア児を育てる父親としての経験などを掲げて選挙に臨みました。
選挙前から高野さんは、家族の子育てを通して福祉制度と向き合う中で感じた課題を政治の場から改善したいという考えを示していました。
世田谷区選出の東京都議会議員として活動
2026年現在、高野さんは東京都議会で厚生委員会に所属しています。
東京都議会の会議録を見ると、高野さん自身が世田谷区選出であることに加え、22年間にわたって民放キー局で働き、その大部分をアナウンサーとして過ごした経歴についても説明しています。
現在は社会福祉士であり、医療的ケア児の父親でもあるという立場から、共生社会やインクルーシブ社会を目指して活動しているとしています。
2026年2月の都議会では、バリアフリートイレの介助用ベッドや学校における医療的ケア、医療型短期入所施設などについて質問しました。
自身の家族としての経験を、東京都全体の福祉政策を考える際の視点につなげているところが、高野さんの政治活動の特徴といえます。
都民ファーストの会から出馬した理由
高野さんが政治の世界へ進む背景には、娘さんの子育てを通して福祉制度について考える機会が増えたことがあります。
本人は、医療的ケアや就学、地域からのサポートなど、家族が実際に多くの支援に助けられてきた一方で、必要な支援へたどり着くまでに壁を感じる場面もあったと語っています。
その経験から、当事者だからこそ気づける制度上の課題を改善したいという思いを強くしていきました。
2025年の出馬表明では、すべての人が支え合い、笑顔で生きられる社会を目指すという考えを示しています。
高野さんにとって政治家への転身は、それまで積み重ねてきた福祉への関心を、行政や政治の側から形にしていくための挑戦でもありました。
元TBSアナウンサーから政治家へ転身
高野さんは2003年にTBSへ入社し、長くアナウンサーとして勤務しました。
その後はアナウンス部門から異動し、総合職として勤務したほか、CSR推進室長も務めています。
2024年12月にはTBSラジオの番組で退社を発表し、2025年1月31日付でTBSを退社しました。
退社前には、今後について身近な人たちが笑顔でいられるような社会づくりを模索したいという趣旨の発言をしており、その後に東京都議選への立候補を表明しています。
テレビで情報を伝える仕事から、社会課題を制度面から変えていく仕事へ進んだことになります。
高野貴裕のプロフィール・経歴
高野貴裕さんは1979年9月24日生まれで、福島県出身です。
青山学院大学文学部を卒業後、2003年にTBSへ入社し、アナウンサーとして情報番組や報道番組などを担当してきました。
その後はアナウンサー以外の業務にも携わり、社会貢献に関わる仕事を経験しています。
現在は東京都議会議員として、これまでのメディア経験と福祉に関する知識、子育て当事者としての経験を組み合わせながら活動しています。
高野貴裕の年齢・出身地・プロフィール
高野貴裕さんは1979年9月24日生まれなので、2026年8月現在は46歳です。
出身地は福島県で、福島県立磐城高等学校を経て青山学院大学へ進学しています。
大学では文学部で学び、卒業後は2003年にTBSへ入社しました。
現在は都民ファーストの会東京都議団に所属する東京都議会議員で、世田谷区を選挙区としています。
東京都議会の公式プロフィールでは、都議1期、所属委員会は厚生委員会とされています。
高野貴裕は福島県立磐城高校出身
高野さんの高校は、福島県立磐城高等学校です。
磐城高校は福島県いわき市にある県立高校で、高野さんが生まれ育った福島県とのつながりを示す学歴の一つでもあります。
高校卒業後は東京へ進学し、青山学院大学で文学を学びました。
高校時代については、現在の政治活動につながる具体的なエピソードが広く公表されているわけではありません。
そのため、高校時代の人物像については、確認できる情報以上に推測して語らないほうがよいでしょう。
青山学院大学文学部フランス文学科を卒業
高野さんは青山学院大学文学部のフランス文学科を卒業しています。
この大学時代が、高野さんの人生を語るうえで特に印象的な時期となっているのは、現在の妻である星野真里さんも同じ大学のフランス文学科に在籍していたからです。
高野さんが先輩で、星野さんが後輩という関係でした。
2人は大学時代から顔見知りでしたが、当時からすぐに結婚を意識した関係だったわけではありません。
卒業後に再会したことが、その後の交際につながっていきました。
2003年にTBSへ入社しアナウンサーに
高野さんは青山学院大学を卒業後、2003年にTBSへ入社しました。
アナウンサーとして長く勤務し、情報番組や報道番組などで幅広く活動しています。
「はなまるマーケット」や「王様のブランチ」などの番組を担当したほか、「はやドキ!」では初代MCを務めました。
2024年12月の退社報告では、2003年の入社から19年間アナウンスセンターに在籍し、その後は総合職として勤務したことを本人が説明しています。
テレビ局の中でアナウンサーだけにとどまらず、別部門で社会貢献に関わった経験が、その後の進路にも影響していきました。
TBS時代は情報・報道番組などを担当
アナウンサー時代の高野さんは、情報番組や報道番組を中心に出演していました。
テレビを通じてニュースや生活情報を伝える仕事を長く続けたことで、多くの視聴者に知られる存在となりました。
一方で、TBS退社前にはアナウンサー以外の仕事にも携わっており、CSR推進室長を務めていた時期もあります。
そのため、高野さんの経歴は「アナウンサーから突然政治家になった」という単純なものではありません。
情報発信、社会貢献、福祉、子育てという複数の経験が重なったうえで、現在の政治活動につながっています。
高野貴裕はなぜTBSを退社して政治家になった?
高野さんの転身で気になるのが、なぜ安定したテレビ局員の立場を離れて政治の世界へ進んだのかという点です。
本人の発言を追うと、娘さんの子育てを通して福祉制度について考える機会が増えたことが大きな背景にあります。
また、社会福祉士の資格を取得した経験も、福祉を専門的に学びたいという意識の表れでした。
政治家になった後も、医療的ケア児や障害児を育てる家族への支援を議会で取り上げています。
2025年1月31日付でTBSを退社
高野さんは2024年12月にTBSを退社する予定を公表し、2025年1月31日付で正式に退社しました。
退社前にはCSR推進室長を務めており、アナウンサーとしての仕事だけでなく、企業の社会貢献に関わる業務も経験しています。
2025年1月31日には自身のSNSでTBSへの感謝を伝え、長年勤めた会社を離れました。
その後、同年2月には東京都議選への出馬を表明しています。
結果として、TBS退社から数カ月後に都議選へ挑戦し、6月22日の選挙で初当選するという大きな転換期を迎えました。
社会福祉士の資格を取得したきっかけ
高野さんは妻の星野真里さんとともに、2024年に社会福祉士の国家資格を取得しています。
資格取得の背景には、娘さんに障害があると分かり、障害児の子育てを始めた経験がありました。
行政に支援を求める際、どの窓口に相談すればよいのか、どのような申請が必要なのかを自分たちで調べる必要があったと高野さんは語っています。
支援制度が存在していても、必要な人がその情報にたどり着けなければ利用することは難しいという問題を、家族として実感したことになります。
そこで福祉や医療の相談援助を行う社会福祉士について学び、必要な人へ情報や支援をつなぐ力を身につけたいと考えました。
娘の子育てを通して福祉の課題を実感
高野さんは娘さんの子育てを通じて、医療的ケアや就学、地域からのサポートなど、多くの支援に助けられた経験を持っています。
一方で、支援を必要としている家族が制度につながるまでに複数の窓口を回らなければならない場面も経験しました。
こうした経験から、高野さんは個々の家庭が自力で制度を探し続けなくても必要な支援へつながれる仕組みの必要性を考えるようになりました。
現在の都議会でも医療的ケア児や障害児の家族を取り巻く課題を取り上げており、家族としての経験が政治活動のテーマに直結しています。
龍円あいりとの出会いが政治家転身のきっかけに
高野さんが都政への挑戦を考えるうえでは、都民ファーストの会の龍円あいりさんとの出会いも一つのきっかけになりました。
龍円さん自身も障害のある子どもを育てる当事者として活動しており、福祉やインクルーシブ社会について高野さんと問題意識を共有する部分があります。
高野さんは2025年の出馬表明で、家族の子育てを通して福祉と向き合ってきた経験を政治に生かしたいという思いを示しました。
テレビ局で情報を届ける立場から、制度をつくる側へ移ることは大きな決断でしたが、これまでの経験を生かせる場所として都政を選んだと考えると、その転身には一貫性があります。
「共生社会」を目指して都議選に挑戦
高野さんが政治活動で掲げている大きなテーマの一つが、共生社会やインクルーシブ社会です。
誰もが地域で生活し、必要な支援を受けながら自分らしく暮らせる環境を整えることを目指しています。
2026年の都議会でも、バリアフリートイレの介助用ベッド、学校での医療的ケア、医療型短期入所施設など、障害のある子どもと家族が直面する具体的な問題を取り上げています。
政治家としての活動を見ると、娘さんの子育てを通じて感じた課題を、東京都全体の制度や環境の改善につなげようとしていることが分かります。
高野貴裕と星野真里の馴れ初めは青山学院大学!
高野貴裕さんについて語るとき、妻の星野真里さんとの馴れ初めも外せない話題です。
2人は青山学院大学の先輩と後輩で、同じ文学部フランス文学科に在籍していました。
ただし、大学時代からすぐに恋人同士になったというより、当時はお互いに顔を知っている先輩・後輩という関係だったようです。
その後、高野さんがTBSへ入社してから2人は再会し、そこから交際へ発展していきました。
2人は青山学院大学の先輩・後輩
高野さんと星野さんは、ともに青山学院大学の文学部フランス文学科で学んでいました。
高野さんが先輩で、星野さんが後輩という関係だったことは、高野さん本人へのインタビューでも語られています。
星野さんも高野さんとの大学時代について語っており、最初に会ったころから素敵な人だと感じていたことを明かしています。
福島県出身の高野さんには当時、福島らしいイントネーションがあり、それも星野さんの印象に残っていたそうです。
大学時代の先輩・後輩という関係が、後に夫婦へとつながったことを考えると、2人の出会いはかなり早い時期だったことになります。
同じ学部のフランス文学科に在籍
2人が同じ大学というだけでなく、同じ文学部フランス文学科で学んでいたことも、馴れ初めを理解するうえでポイントになります。
大学時代に共通の環境にいたため、卒業後に再会した際にも相手のことを知っているという土台がありました。
星野さんは芸能活動を続けながら大学に通い、高野さんは卒業後にTBSへ入社してアナウンサーとなりました。
それぞれ異なる世界で仕事を始めた後に再び接点が生まれたことで、学生時代とは違った関係が始まっていきました。
2人の結婚は、芸能人とアナウンサーが仕事を通じて初めて出会ったケースではなく、学生時代からの知り合いが長い時間を経て夫婦になったケースといえます。
大学時代はすぐに交際したわけではなかった
「大学で出会った」と聞くと、学生時代から恋人だったように思われがちですが、本人のインタビューからは少し違った経緯が見えてきます。
星野さんは高野さんに好印象を持っていたものの、その時点ですぐ交際していたわけではありません。
高野さんが大学を卒業してTBSで働くようになり、数年が経ってから2人は再会しています。
その再会をきっかけに再び距離が近づき、交際へ進んだという流れです。
そのため、「青山学院大学で出会った」は正しいものの、「大学時代から9年間付き合っていた」とだけ説明すると、少し誤解を招く可能性があります。
星野真里は高野貴裕に好印象を持っていた?
星野さんは後年のインタビューで、高野さんについて最初に会った時から素敵な方だと思っていたと振り返っています。
特に印象に残っていたのが、福島県出身の高野さんのイントネーションだったそうです。
星野さんは、その福島らしい話し方に居心地のよさを感じていたとも話しています。
ただ、好印象を持っていたことと、その時点で恋愛関係だったことは別の話です。
2人の関係が本格的に動き出したのは、高野さんがTBSに入社した後の再会からでした。
高野貴裕と星野真里は再会をきっかけに交際へ
大学時代の先輩・後輩だった高野さんと星野さんは、卒業後に再会したことで交際へ進みました。
星野さんのインタビューによると、高野さんが会社員として働いている時期に再会し、そこから付き合いが始まったとされています。
その後の交際期間は長く、2人は約9年間をともに過ごしてから結婚しました。
芸能活動を続ける星野さんと、TBSアナウンサーとして働く高野さんという、それぞれ多忙な仕事を持つ2人が長い時間をかけて関係を築いたことになります。
大学卒業後に2人が再会
高野さんと星野さんの関係が大きく動いたのは、大学卒業後の再会でした。
星野さんはインタビューで、高野さんが会社に勤めている状態になった時期に再会し、そこから付き合いが始まったと話しています。
つまり、大学時代に知り合い、卒業後にそれぞれの生活を送り、時間が経ってから再び顔を合わせたことが交際のきっかけになったということです。
学生時代からの知り合いだったからこそ、再会したときにも完全な初対面とは違う安心感があったのかもしれません。
その後の2人は長期間にわたって交際を続け、2011年に結婚を迎えました。
高野貴裕の福島県出身らしいイントネーションが印象的だった
星野さんが高野さんとの出会いを振り返るとき、福島県出身らしいイントネーションについて触れている点も印象的です。
高野さんは福島県出身で、大学進学を機に東京で生活するようになりました。
星野さんにとっては、その話し方が高野さんを印象づける特徴の一つだったようです。
後年になって本人がこのエピソードを語っていることからも、大学時代に高野さんの存在が星野さんの記憶に残っていたことが分かります。
ただし、これが交際の直接的なきっかけだったと断定することはできず、あくまで星野さんが高野さんに感じた印象の一つとして捉えるのが適切です。
約9年間の交際を経て結婚
2人は交際期間を約9年とされており、短期間で結婚した夫婦ではありません。
星野さんは2009年のイベントで大学時代の先輩と交際していることを公に認め、その後も高野さんとの関係を続けました。
そして2011年9月1日に婚姻届を提出し、夫婦となっています。
約9年という長い交際期間を経て結婚したことから、2人にとって結婚は交際を始めてすぐに決めたものではなく、時間をかけて関係を築いた先にあった出来事だったことがうかがえます。
2011年に高野貴裕と星野真里が結婚
星野さんは2011年9月1日、自身の公式ブログで高野さんとの入籍を発表しました。
当時の高野さんはTBSアナウンサーとして勤務しており、星野さんは女優として活動していました。
星野さんは結婚報告の中で、高野さんが自分の話をしっかり聞いてくれる存在であり、人と分かり合うことの楽しみや喜びを教えてもらったという趣旨の思いを綴っています。
結婚後も2人は家庭を築き、2015年には長女が誕生しました。
2021年には結婚10周年を迎え、高野さんが家族との日常を感じさせるメッセージを発信したことも話題になっています。
高野貴裕と星野真里の結婚・夫婦生活
高野さんと星野さんは、約9年間の交際を経て結婚した後、娘さんを育てる夫婦となりました。
2人の夫婦生活を語るうえでは、結婚そのものだけでなく、娘さんの誕生をきっかけに福祉について学び始めたことも大きなポイントです。
現在では2人とも社会福祉士の国家資格を取得しており、家族として経験したことを社会への発信にもつなげています。
高野さんが政治家になった背景にも、この家族としての経験が深く関係しています。
星野真里が結婚を発表したのは2011年
星野さんが高野さんとの結婚を発表したのは2011年9月1日です。
公式ブログでは、かねてから交際していたTBSアナウンサーの高野さんと入籍したことを報告しています。
当時の星野さんは30歳で、以前から30歳までに結婚したいという思いがあったことも後のインタビューで明かしています。
約9年間の交際を経て30代を迎えるタイミングで結婚したことになり、長く続いた交際が正式な夫婦関係へと変わりました。
結婚後も2人はそれぞれ芸能界とテレビ局で仕事を続けながら家庭を築いていきました。
高野貴裕のプロポーズはどんなものだった?
高野さんのプロポーズは、星野さんが後にテレビ番組などで何度も語っている有名なエピソードです。
高野さんは星野さんが普段から行くカフェのような店を貸し切り、周囲を高野さんの友人たちで囲んだ状態でプロポーズしました。
食事の途中で高野さんが星野さんへの感謝を伝え、その後に立ち上がってひざまずき、指輪を差し出したそうです。
星野さんはその場でプロポーズを受け入れましたが、実は人前でサプライズを受けることが好きなタイプではありませんでした。
後に星野さんは、自分が望んでいたプロポーズとは違ったと率直に明かしており、夫婦のコミュニケーションを考えるきっかけにもなったと話しています。
夫婦で社会福祉士の資格を取得
高野さんと星野さんは、2024年にそろって社会福祉士の国家資格を取得しました。
その背景にあるのが、娘さんの子育てを通して福祉制度と向き合った経験です。
障害のある子どもを育てる中では、医療や教育だけでなく、行政の制度や地域の支援など、さまざまな仕組みを利用する必要があります。
高野さんは、支援を求めるための窓口を探すところから家族自身が動かなければならない場面があったと語っています。
資格取得によって、福祉に関する知識を身につけるだけでなく、同じような家庭へ情報を届けたいという思いも持つようになりました。
娘の誕生が2人の人生を大きく変えた
高野さんと星野さんには、2015年に誕生した長女がいます。
娘さんは生後3〜4カ月になっても首がすわらず、2歳のときに先天性ミオパチーの一種である中心核ミオパチーと診断されました。
その後、夫妻は医療的ケアを必要とする娘さんの子育てに向き合いながら、福祉制度や学校生活、地域での支援について調べてきました。
この経験は、高野さんが政治家として福祉政策を重視する現在の活動にもつながっています。
高野さん自身も都議会で医療的ケア児の父親であることを明かし、家族が地域で暮らすための支援について具体的な質問をしています。
高野貴裕と星野真里の娘に障害があることを公表
高野さんと星野さんの家族について大きな転機となったのが、娘さんの病気を公表したことです。
星野さんは2024年9月、娘さんが先天性ミオパチーであることを公表しました。
その後、高野さんもインタビューなどで娘さんとの生活や、家族が福祉制度と向き合ってきた経験を語っています。
娘さんについては本人のプライバシーにも関わるため、病気そのものだけではなく、家族がどのような思いで情報を発信しているのかを見ることが大切です。
娘・ふうかさんは「先天性ミオパチー」と診断
高野さんと星野さんの長女は、2歳のときに国指定難病の先天性ミオパチーの一種である中心核ミオパチーと診断されました。
先天性ミオパチーは、生まれつき筋肉の力が弱くなるなどの症状がみられる病気の総称です。
娘さんの場合は、生後3〜4カ月になっても首がすわらなかったことから医療機関で診察を受け、2歳で診断につながりました。
家族は病名が分かった後、医療面だけでなく、教育や地域生活、行政の支援についても調べながら子育てを続けています。
2024年秋からは娘さん自身のInstagramも始め、日常の様子や家族の活動を発信するようになりました。
生後3〜4カ月になっても首がすわらなかった
娘さんについて高野さんが語ったところによると、生後3〜4カ月になっても首がすわらなかったことが、発達について考える最初のきっかけになりました。
赤ちゃんの成長には個人差がありますが、家族としては日々の様子を見ながら医療機関に相談していくことになります。
その後、2歳のときに先天性ミオパチーの一種である中心核ミオパチーと診断されました。
診断によって病名が分かった一方で、そこから始まったのは医療だけではなく、障害児を育てる家庭として生活を組み立てていく長い道のりでした。
高野さん夫妻が社会福祉士の資格を取得した背景にも、この時期からの経験があります。
2歳のときに先天性ミオパチーと診断
娘さんが先天性ミオパチーと診断されたのは2歳のときです。
高野さんは、診断がついたことで夫婦としてさまざまなことを考えたと振り返っています。
障害のある子どもを育てる家庭にとって、診断は一つの区切りではありますが、そこから医療、教育、福祉、生活環境などを整えていく必要があります。
高野さん夫妻も、行政の支援制度を調べたり、必要な窓口を探したりしながら娘さんの生活を支えてきました。
現在の高野さんが福祉政策に関心を持つ理由を理解するうえでも、この家族としての経験は大きな意味を持っています。
電動車いすや人工呼吸器を使って生活
娘さんは現在、電動車いすや人工呼吸器を使いながら生活しています。
これは2026年現在の報道でも紹介されている情報で、星野さんは娘さんとの日々を通じて、すべての子どもが自分で居場所を選べる社会になってほしいという思いを持つようになったと語っています。
一方で、娘さんの生活は病気や医療的ケアだけで構成されているわけではありません。
友人と出かけたり、学校生活を送ったり、家族と旅行したりする日常もあり、2025年の「24時間テレビ」では友人との街歩きにも挑戦しました。
高野さん夫妻の発信からは、医療的な支援を必要としながらも、一人の子どもとしてさまざまな経験を楽しむ姿を大切にしていることが伝わります。
2024年に娘の病気を公表した理由
星野さんが娘さんの病気を公表したのは2024年9月です。
病名を公表した背景には、同じように障害のある子どもを育てる家庭へ情報を届けたいという思いがありました。
高野さんも、娘さんの子育てを始めたころには、どこへ相談すればよいのか、どのような申請が必要なのかを自分たちで調べなければならなかったと話しています。
だからこそ、自分たちが経験したことを発信することで、同じ立場の家庭が少しでも情報を得やすくなることを目指しています。
家族のプライバシーを守りながら、必要な情報を社会に届けるというバランスを取りながら活動している点も特徴です。
高野貴裕と星野真里が社会福祉士の資格を取得した理由
高野さん夫妻が社会福祉士の資格を取得した背景には、娘さんの子育てを通して感じた「支援につながる難しさ」がありました。
福祉制度は用意されていても、必要な家庭がその制度を知り、適切な窓口へ相談し、申請まで進めるには複数の壁があります。
夫妻は自分たちが実際に経験したからこそ、福祉の知識を身につけることに意味があると考えました。
この経験は、高野さんが政治家として福祉政策を扱う際にも大きな土台になっています。
障害児を育てる中で行政・福祉制度の壁に直面
高野さんは、娘さんに障害があると分かった後、行政へ支援を求める際に相談先を探すところから始めなければならなかったと話しています。
支援を申請するときにも窓口が一つにまとまっておらず、複数の担当者へ同じ状況を説明する必要があったそうです。
もちろん、医療的ケアや就学、地域からのサポートなどを通じて助けてもらったことも多く、その支援に対して高野さんは感謝を表しています。
その一方で、支援が必要なのに制度へつながるまでの道筋が分からず、取り残されてしまう家庭があることにも気づきました。
この経験が、福祉を専門的に学び、制度と当事者をつなぐ側へ回りたいという思いにつながっています。
「謝らない育児」を大切にする夫婦
高野さんは娘さんの子育てについて、妻の星野さんと「謝らない育児」をしようと話していることも明かしています。
障害のある子どもを育てていると、周囲に迷惑をかけているのではないかと親が自分を責めてしまう場面があります。
しかし高野さん夫妻は、娘さんが何かをするたびに家族が謝るのではなく、必要な支援を受けながら本人らしく生活できる環境をつくることを大切にしています。
これは高野さんが掲げる共生社会の考え方ともつながっています。
家族だけで問題を抱えるのではなく、地域や行政、医療、教育などがそれぞれの役割を担いながら支えることを目指しているのです。
家族で立ち上げた「wappo」で情報を発信
高野さん夫妻は、家族で「wappo」という任意団体を立ち上げています。
「私たちの一歩」を略して名付けた活動で、障害のある子どもを育てる家族へ情報を届けることなどを目的としています。
高野さんは、娘さんの子育てを通して得た経験を自分たちだけのものにせず、同じような家庭にも役立てたいという考えを示しています。
政治家になる前からこうした活動に取り組んでいたことを考えると、現在の福祉政策への関心は都議選への出馬を決めてから急に生まれたものではないことが分かります。
家族としての経験を社会に還元したいという思いが、資格取得や情報発信、そして政治活動へとつながっています。
高野貴裕の娘が「24時間テレビ」に出演した理由
高野さん一家にとって「24時間テレビ」は、娘さんの生活や挑戦を多くの人に知ってもらう機会にもなりました。
2025年の「24時間テレビ48」では、星野さんと娘さんの企画が放送され、娘さんが幼稚園時代からの親友と街へ出かける様子が紹介されました。
そして2026年は、星野さん自身がチャリティーランナーとして「24時間テレビ49」に挑戦しています。
前年と今年では企画の内容が異なりますが、どちらも家族の経験を通じて、子どもたちの可能性や共生社会について考える機会になっています。
2025年の「24時間テレビ48」に娘・ふうかさんが出演
2025年8月の「24時間テレビ48」では、星野さんと娘さんの企画が放送されました。
娘さんは先天性ミオパチーのため電動車いすを使用しており、日常生活では大人のサポートが必要な場面もあります。
その一方で、本人には友達と一緒に街へ出かけてみたいという思いがあり、番組ではその希望をかなえる企画が組まれました。
幼稚園時代からの親友2人とともに、原宿、新大久保、お台場を巡る姿が紹介され、星野さんは少し離れた場所から娘さんたちの冒険を見守りました。
障害のある子どもが「支援される側」だけではなく、自分で行きたい場所を選び、友達と楽しむ姿が紹介されたことに意味のある企画でした。
親友2人と原宿・新大久保・お台場を大冒険
番組では娘さんが幼稚園時代からの親友2人と一緒に、原宿、新大久保、お台場を巡りました。
普段は大人の手助けが必要な場面がある娘さんにとって、友達と一緒に自分たちで街を楽しむことは大きな挑戦でした。
行き先を決めたり、食事をしたり、街を歩いたりする一つ一つの経験が、子どもたちにとっては普段の遊びの延長でもあります。
だからこそ、この企画では障害の有無に関係なく、子どもが友達と過ごす時間そのものが中心に置かれていました。
娘さんの生活を紹介するだけでなく、「やってみたい」という気持ちをどう実現するかを考える企画だった点が特徴です。
電動車いすで「子どもだけのお出かけ」に挑戦
この企画の大きなテーマは、娘さんが友達と一緒に「子どもだけ」で出かけることでした。
電動車いすを使う娘さんにとって、街へ出かけるには移動経路や設備などの確認が必要になります。
それでも、最初から「できない」と決めるのではなく、必要なサポートを考えながら本人の希望を実現する方法を探しました。
この考え方は、高野さんが政治活動で訴えているインクルーシブ社会とも重なります。
本人の行動を制限するのではなく、環境や支援の側を整えることで「できること」を増やしていくという視点です。
星野真里は娘の冒険をモニターで見守った
娘さんたちの街歩きでは、星野さんがすぐそばで付き添うのではなく、離れた場所からモニターを通して様子を見守りました。
親としては心配になる場面もありますが、娘さん自身が友達と過ごす時間を尊重し、必要以上に手を出さないことも一つの支援になります。
星野さんにとっても、娘さんを信じて見守ることは大きな挑戦だったと考えられます。
番組を通じて紹介されたのは、障害のある子どもを守る親の姿だけではなく、子どもの成長を信じて任せる親の姿でもありました。
家族がどのように娘さんの「やってみたい」を支えているのかが伝わる内容になっています。
24時間テレビを通して伝えたかったこと
2025年の企画を通して伝わってきたのは、障害のある子どもにも友達と遊び、街へ出かけ、自分の好きなことを選ぶ日常があるということです。
星野さんと高野さんは、娘さんの病気だけを発信したいのではなく、娘さんが一人の子どもとして経験する日々も大切にしています。
2026年の「24時間テレビ49」でも、星野さんはすべての子どもが分け隔てられることなく、自分自身で居場所を選べる社会になってほしいという願いを語っています。
2025年の娘さんの挑戦と2026年の星野さんの挑戦には、形こそ違っても、子どもの可能性を広げたいという共通した思いがあります。
2026年の24時間テレビで星野真里がチャリティーランナーに
2026年は、高野さんの妻である星野真里さん自身が「24時間テレビ49」のチャリティーランナーを務めています。
2026年8月29日と30日に放送される今回の「24時間テレビ」は、家族の形や心のつながりをテーマの一つとして掲げています。
星野さんが走る理由には、娘さんと過ごしてきた11年間の経験が大きく関係しています。
娘さん自身もこの夏に大きな手術へ挑戦する予定で、母と娘がそれぞれの場所で大きな挑戦に向き合う夏になっています。
星野真里が「24時間テレビ49」のチャリティーランナーに決定
星野真里さんは2026年の「24時間テレビ49」でチャリティーランナーを務めることが発表されました。
今回の募金は「できた!を増やす子ども募金」と題され、子どもたちができることを増やしていく未来を支援する目的が掲げられています。
星野さんは、娘さんと過ごしてきた10年以上の時間を通じて、すべての子どもが自分で居場所を選べる社会になってほしいという願いを持つようになったと語っています。
その思いを自分自身が走る姿で伝えることが、今回のチャリティーマラソンへの参加理由の一つになっています。
娘・ふうかさんの存在が走る理由の一つに
星野さんが走る背景には、娘さんの存在があります。
娘さんは先天性ミオパチーという難病があり、電動車いすや人工呼吸器を使って生活しています。
星野さんは娘さんと過ごしてきた時間を通して、障害のある子どもだけではなく、すべての子どもが分け隔てられることなく、自分で居場所を選べる社会になってほしいという願いを持つようになりました。
今回のチャリティーマラソンは、娘さんの病気だけを伝えるためのものではありません。
子どもたちがそれぞれの「できた」を増やしていける環境について考えるきっかけにしたいという思いが込められています。
娘から「ママも頑張って」と背中を押された
星野さんが今回の挑戦について語る中で、特に印象的なのが娘さんからかけられた言葉です。
娘さん自身もこの夏、自分の人生で一番大きな手術に挑戦することになっており、「自分も頑張るからママもマラソンを頑張ってほしい」という趣旨の言葉を伝えています。
星野さんは、自分が頑張る姿が娘さんの挑戦を後押しすることにつながるのがうれしいと語っています。
親が子どもを支えるだけではなく、子どもの頑張る姿が親を支えるという関係が、今回の挑戦には表れています。
高野さんも妻の挑戦を応援しており、夫婦と娘の3人がそれぞれの場所で頑張る夏になっています。
「子どもたちの可能性を広げたい」という思い
星野さんが「24時間テレビ」で伝えたいのは、障害のある子どもを特別な存在として扱うことではありません。
本人がやりたいと思ったことに挑戦できる環境を整え、子ども自身が自分の居場所を選べる社会をつくることです。
娘さんが友達と街へ出かけた2025年の企画も、2026年の星野さんのマラソンも、その考え方につながっています。
高野さんが都議会でバリアフリーや医療的ケア児の支援を取り上げていることを合わせて見ると、家族が経験したことが夫婦それぞれの社会活動へ広がっていることが分かります。
2026年8月29日・30日に放送
「24時間テレビ49」は2026年8月29日と30日に放送されます。
2026年のテーマは「わたしの家族の話〜あなたは誰を想う?〜」で、血縁だけに限らない家族の形や心のつながりにも目を向ける内容となっています。
星野さんは「できた!を増やす子ども募金」のチャリティーランナーとして、子どもたちの未来を支援するために走ります。
娘さんもこの夏に大きな手術へ挑む予定であり、星野さんにとっては家族としても大きな節目の時期です。
高野さんも妻の挑戦を応援しており、2026年の「24時間テレビ」は高野家にとって家族それぞれの挑戦が重なる機会となっています。
高野貴裕の現在は東京都議会議員!今後の活動にも注目
高野貴裕さんは、TBSアナウンサーから社会貢献分野へ進み、社会福祉士の資格を取得した後、東京都議会議員へ転身しました。
現在は世田谷区選出の都議として厚生委員会に所属し、医療的ケア児や障害のある人と家族が暮らしやすい環境について議会で取り上げています。
その活動の背景には、娘さんを育てる中で実際に福祉制度と向き合ってきた経験があります。
妻の星野真里さんも同じように社会福祉士の資格を取得し、家族の経験を発信する活動を続けています。
元TBSアナウンサーから東京都議会議員へ
高野さんの経歴を振り返ると、2003年のTBS入社から2025年の退社まで、約22年間にわたってテレビ局で働いてきたことになります。
その大部分はアナウンサーとしての仕事でしたが、後半には総合職やCSR推進室長として社会貢献に関わる業務も経験しました。
その後、2025年の東京都議選で初当選し、現在は都議会議員として活動しています。
アナウンサー時代に培った伝える力と、社会福祉士として学んだ知識、そして父親としての実体験を組み合わせている点が現在の高野さんの特徴です。
福祉・共生社会をテーマに活動
高野さんが現在の政治活動で重視しているのが、福祉と共生社会です。
2026年の都議会では、バリアフリートイレの介助用ベッドや学校における医療的ケア、医療型短期入所施設などについて質問しています。
これらは、障害のある子どもを育てる家庭が実際に生活するうえで直面する問題とも重なっています。
高野さん自身も医療的ケアが必要な娘を育てる父親であることを議会で明かしており、当事者としての経験を政策へ反映させようとしています。
家族の経験を個人的なものとして終わらせず、制度の改善につなげようとしているところに、現在の政治家としての活動の特徴があります。
家族との経験が現在の政治活動にもつながっている
高野さんが政治家になった背景をたどると、娘さんの病気、福祉制度との出会い、社会福祉士の資格取得、そして都議選への挑戦が一本の線でつながっています。
娘さんが先天性ミオパチーと診断されたことで、医療だけでは解決できない生活上の課題にも向き合うようになりました。
行政の支援を受ける中で助けられた経験がある一方、制度へつながるまでの難しさも経験しています。
そうした実体験が、現在の高野さんが福祉政策を重視する理由の一つになっています。
東京都議会での発言を見ても、医療的ケア児と家族の生活を支える仕組みをより充実させたいという問題意識が継続しています。
星野真里との夫婦生活と娘との歩み
高野さんと星野さんは、青山学院大学の先輩・後輩として出会い、卒業後の再会を経て交際し、約9年間の交際を経て2011年に結婚しました。
2015年には長女が誕生し、2歳のときに先天性ミオパチーと診断された娘さんを夫婦で育てています。
2人は社会福祉士の資格を取得し、障害のある子どもを育てる家庭が必要な情報や支援へつながりやすくなるよう活動しています。
2025年には娘さんが「24時間テレビ」の企画で友人との街歩きに挑戦し、2026年には星野さん自身がチャリティーランナーとして走っています。
2026年は「24時間テレビ」と家族にも注目
2026年8月29日と30日に放送される「24時間テレビ49」では、星野さんがチャリティーランナーを務めています。
娘さん自身もこの夏に大きな手術へ挑戦する予定で、星野さんは娘さんから「自分も頑張るからママも頑張ってほしい」という言葉を受け取っています。
高野さんも妻の挑戦を応援しており、家族それぞれが自分の場所で挑戦する姿が注目されています。
高野さん自身は東京都議会議員として福祉政策に取り組み、星野さんは芸能活動や社会への発信を続けています。
アナウンサーと女優というそれぞれの仕事だけでなく、家族として経験したことを社会につなげている点も、現在の高野さん夫妻を知るうえで見逃せない部分です。
まとめ:高野貴裕は元TBSアナから東京都議会議員へ!家族の経験を福祉政策に生かしている
高野貴裕さんは、2003年にTBSへ入社してアナウンサーとして活動した後、社会貢献分野での仕事を経験し、2025年にTBSを退社しました。
同年の東京都議会議員選挙で世田谷区から初当選し、2026年現在は都民ファーストの会所属の東京都議会議員として活動しています。
妻の星野真里さんとは青山学院大学の先輩・後輩で、卒業後の再会をきっかけに交際し、約9年の交際を経て2011年に結婚しました。
夫妻には娘さんがおり、先天性ミオパチーと診断された娘さんの子育てを通じて福祉制度と向き合い、夫婦で社会福祉士の資格も取得しています。
2025年の「24時間テレビ」では娘さんが友人との街歩きに挑戦し、2026年は星野さんがチャリティーランナーとして子どもたちの未来のために走っています。
高野さんの現在の政治活動は、元アナウンサーとしての発信力だけでなく、父親として実際に福祉制度を利用してきた経験にも支えられています。
今後も東京都議会でどのような政策を打ち出していくのか、そして家族としてどのような活動を続けていくのかが注目されます。